秘め事【その日】1

わたし達が会えたのは、知り合ってから半年が経った頃。

早かったのかやっとなのかはわからないけど、それでも会えるだけ嬉しかった。

何をしようか、と相談した時、あの人が言った。

「髪、切らせてよ」

彼はフリーランスで美容師をやっている。

店舗を構えているわけじゃないから、気楽だと言っていたのを思い出す。

わたしはとても嬉しくなって「あなたの好きな髪型にしてね」と二つ返事で返していた。

それから、会う日までの間は二人とも会った時のことばかりを話していて、それはまるで将来の夢を語り合う友人のようでもあり、将来のある恋人のようだった。

こんな話をし合えるなんて思わなかったし、これは夢じゃないだろうかと話している時ですら思っていた。

当日、駅まで彼に迎えにきてもらう。

初めて会うとは思えないと彼は言っていたけど、わたしはもう吐きそうなくらいに緊張していて、このまま髪の毛を切られるなんて本当に可能だろうかと不安になるほど。

メールに書かれていた場所まで行くとすぐに彼を見つけることができた。

背が高くて、わたしが好きだと言っていた服装で、彼が、優しく笑ってる。

「来るだけで疲れたでしょう」

流れるような動きでわたしの体を抱きしめ、耳元で言った。

ここは人通りの多い駅だから、誰も自分達のことなんて見ていないよ、と笑って。

彼が間借りしている場所まで二人で歩いて行くことになった。この駅から、十分くらいで着くと言っていた。

マンションの一室が店舗なんだよ、と言いながらわたしの手を強い力で握る。

指先が絡む。温かい、彼の手。

それだけで幸せだった、もうこのまま、また駅に向かってバイバイしてもわたしは満足だったかもしれない。

嘘。

今考えていることは、もっと一緒にいたい、ずっと一緒にいたい。

彼のことを知りたい。

そればかりだった。

到着すると、本当に普通のマンショに見えた。

けれど、表札のどれもこれも会社名だったから、そういう店舗型のマンションなのだろうと勝手に理解する。

「いつも、人がいるから、まぁ、普通の美容室みたいなものだよ」

彼が言いながらエレベーターに乗る。

その後ろに続き、手を繋いだ状態で無言になる。

彼の左斜め後ろにいるわたしは、そっと彼の顔を盗み見る。

送られてきた写真と差異のない横顔。

今、この時だけでも、独り占めしているんだ、と思い込もうと思った。

わたし達は何の名前もないから。

「あれ、珍しい。誰もいない」

普通の美容室の作りをしている部屋の中に通され、椅子に誘導される。

緊張して、動きがぎこちないし彼のことを真正面から見ることができない。

「どんな風にしたい?希望ある?」

ハサミや櫛などを用意しながら彼が聞いてくるけれど、わたしの頭の中は漂白されたみたいに真っ白で何も答えが見つからない。やっと出てきた言葉は、

「似合いそうな、髪型にして」

だった。

「いいの?後悔しない?」

冗談っぽい視線を鏡越しにこちらに向ける。

「いいよ」

不思議と鏡越しだったらちゃんと目を合わせることができた。

「じゃあ、とりあえずシャンプーしよう」

シャンプー台まで手を繋いで歩く。

「ガーゼする?」

「するものでしょう?」

「僕は顔見ていたいけど」

「いや、して欲しい」

「絶対?」

「本当、息できなくて死んじゃう」

「仕方ないなぁ」

そんなやりとりをしてから、シャンプーが始まる。

彼の指にわたしの髪の毛が絡んでいると思うといたたまれなくなる。

手の感触が、指の動きが髪の毛から伝わってくる。

どうしようもない気持ちだった。

今すぐ抱きつきたい衝動を抑えるのに必死だった。

「ねぇ」

そんなことを考えていると彼が声をかけてきた。

「何?」

無防備に返答する。

「好きだよ。大好き」

耳元で甘い声が聞こえる。

それはシャンプーの香りなのか彼の香りなのか。

ああ、ああ、この言葉とこの声が今、この瞬間にわたしの全てになればいいのにと思った。

シャンプーが終わって、彼の手によって髪の毛が切られていく。

「顔が小さいから、ショートが似合うと思うんだよね」

肩まで伸びた髪の毛がショートになることくらいどうってことなかった。

「うん、そうしよっか」

鏡越しにわたし達は笑い合う。

「鏡越しだったら、恥ずかしいの少し失せるでしょう」

わたしの緊張がなくなるようするために最初から考えていたと言う。

順調の髪の毛を切られて、もうそろそろ仕上がるといった頃、一瞬ハサミを置いて彼はわたしの顔を自分の方に向けさせる。

「ギリギリまで一緒にいたいから、終わったら二人きりになりたい」

真っ直ぐな目がわたしを惑わす。

頷くしかわたしには選択肢がなかったし、首を横に振る気もさらさらなかった。

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